日本初(?)有罪率99.9%の刑事裁判で〝二度も〟無罪判決を勝ち取った男のブログ!

過去、二度も刑事裁判の被告人として法廷に立たされるも、自力で反証、反駁をし二度も無罪判決を勝ち取る!そんな私が、あらゆる事を綴る!

裁判員裁判の判決の重みは?



 こんにちは

 今日は、長閑な陽気ですね

 このまま暖かくなってくれれば良いのですが


 さて、今日は、非常に難儀な問題をお話します

 今日のテーマは、ある意味永遠のテーマだと言っても過言ではありません


 今日は、ちょっと皆さんに考えてもらいましょう


 先日、朝日新聞に下記の記事があったので、長いですが引用します


 裁判員裁判による死刑判決を破棄し、無期懲役とした2件の高裁判決について、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、高裁の判断を支持する結論を出した。
 「市民感覚」を反映するために導入された裁判員制度で導かれた量刑判断を、プロの裁判官だけの高裁が覆すことに議論があったが、最高裁は「死刑は究極の刑罰で、裁判結果は何人にも公平であるべきだ」と指摘。死刑については、先例から逸脱した判決は裁判員裁判の結論でも認められないとした。

 3日付の決定で、検察と被告双方の上告を退けた。
 裁判員裁判の死刑判決を覆した高裁判決が確定するのは初めて。
 2件とも無期懲役判決が確定する。

 2件は、東京都内のマンションで2009年、男性(当時74)を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた伊能和夫被告(64)と、千葉県松戸市で同年、女子大生(当時21)を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた竪山辰美被告(53)の裁判。
 いずれも東京高裁が一審の死刑判決を破棄した。

 最高裁はまず、死刑を適用する前提として「過去の裁判例を検討して得られた共通認識を、議論の出発点とすべきだ」と指摘。
 「これは裁判官のみで構成する裁判でも、裁判員裁判でも変わらない」と強調した。

 さらに、死刑を選択する際に考慮すべき要素として、動機や計画性、殺害方法、被害者数や前科などの項目を挙げ、「死刑が真にやむを得ないと認められるかどうかについて議論を深める必要がある」とした。

 そのうえで2件を検討。
 伊能被告については、一審は妻と子の2人を殺害した前科を重視して死刑判決を導いたが、「前科と起訴事件は関連が薄く、前科を過度に重視した一審判決は量刑が甚だ不当だ」とした。

 竪山被告については、殺害事件に計画性がないと指摘。
 さらに、事件の前後に複数の強盗強姦(ごうかん)事件などを起こしていたことを一審が死刑判断の根拠の一つにしたが、「これらの事件は人の命を奪おうとした犯行ではない」とし、死刑選択の理由にならないとした。

 裁判員裁判での死刑判決は昨年末までに22件。
 今回の決定の2件のほか、もう1件について、二審が死刑判決を破棄し、最高裁で審理が続いている。

 ■<解説>死刑判断の「公平」重視

 刑事裁判に「市民感覚」を生かす裁判員制度を導入すれば、量刑判断が厳しくなる面もあることはおのずと予想された。 今回の2件も、被告が過去に殺人を犯していたことや強盗強姦を繰り返していたことなどを裁判員らが重視し、死刑判決を導いたものだ。
 だが最高裁は、死刑については、特に「公平さが優先される」とし、市民らの判断を認めなかった。

 最高裁決定が強調するように、死刑は「被告の生命を永遠に奪い去る」もので、他の刑罰とは次元が異なる。
 だからこそ刑を受ける側が「公平だ」と受け止められることが重要で、だれに裁かれるかによって判断が異なるようなことは認められない。
 決定にはそうした思いがにじむ。

 ただし、そうであれば、死刑も想定される事件はプロの裁判官だけで裁けばいい、との意見がある。
 死刑判決を下すということは、市民に極めて重い負担を強いるからだ。
 こうした意見に対し、刑事裁判官らから返ってくるのは「国民に参加してもらう以上、最も重い判断が求められる事件を外すのは制度の趣旨に反する」といった答えで、議論は深まっていない。

 裁判員制度がスタートしてまもなく6年。
 制度を根付かせるためにも、なぜ市民が死刑判断に関わり続けなければならないのか、より説得力のある説明が最高裁には求められる。(西山貴章)
 


 「裁判員何のため」

 市民が刑事裁判に参加する裁判員制度が始まって、まもなく6年。
 裁判員らが導き出した「死刑」の判決を、最高裁が初めて否定した。
 命を奪う究極の刑罰はどんな被告にあてはめられるべきか。
 難問が、改めて市民に突きつけられた。

 「もう死刑にできる方法がないのかと思うと、怒りがどんどん大きくなってきて、どうにもできない」

 4日夕、兵庫県稲美町の荻野美奈子さん(62)の声は震えていた。
 「友花里に何と報告したらよいのか、突然すぎて気持ちが切りかえられません」。
 長女の友花里さん(当時21)は2009年10月、通っていた千葉大学近くの自宅マンションで竪山辰美被告(53)に殺害された。
 何としても死刑に。そう願い続けた5年間だった。

 一審・千葉地裁の裁判員裁判は死刑判決。
 だが、二審・東京高裁は「先例の傾向を踏まえるべきだ」と死刑判決を破棄し、無期懲役とした。
 待ち続けた最高裁の判断。
 「上告棄却と聞き、裁判員裁判に意味がないことを痛感しました。
 先例で決めるのなら、裁判員裁判という茶番劇は今すぐやめればいい」と語った。

 裁判員として死刑判決を出した市民はどうか。

 「良かったとも悪かったとも言えない。もやもやしています」。
 伊能和夫被告(64)の一審で裁判員を務めた東京都内の50代女性は、複雑な胸中を明かす。

 一審では「決して被告を死刑にしたかったわけではない。ただ証拠を積み重ね、考え抜いた結論が死刑だった」と振り返る。

 「(無期懲役になっても)私たちが一生懸命話し合ったことが無駄になったとは決して思わない。でも、単純に殺害した人数など過去の判例に照らして判断するやり方でいいのか、いまも答えは出ません」

 半面、こうも思う。
 「もし最高裁で死刑が確定していたら、もっとショックで怖かった」。
 裁判からずっと事件のことを考え続けてきた。
 「考えれば考えるほど、結局は死刑制度のあり方に行き着く。遺族は当然許せないだろうし、一方で死刑で解決できるわけではない、というのも理解できるようになった」。
 心の落としどころは見つからない。
 「関わった以上、これからも一生考えていくんだと思う」

 (西山貴章、伊木緑)

 ■民意否定でない

 裁判員制度の設計にかかわった四宮啓・国学院大法科大学院教授の話 

 生命は憲法の中で最も重要な価値だ。
 それを国家権力で奪う死刑判決は、たとえ裁判員の判断であっても、慎重の上にも慎重でなければならない。
 二審と最高裁が一審を否定した判断は評価できる。
 裁判員制度は、より適正な裁判を行うために、民意の反映が重要だという観点でつくられた。
 検察の死刑求刑に対して、裁判員が無期懲役判決を言い渡した事件もある。
 最高裁の判断は民意の否定ではなく、生命という価値に光を当てたということだろう。

 ■慎重さを再認識

 量刑判断に詳しい原田国男弁護士(元東京高裁部総括判事)の話 

 死刑判決を下すときは、判決を言い渡す最後の最後まで悩み抜く。
 控訴審、上告審があるからこそ、自分だけで死刑を決めたんじゃないとほっとする面もある。
 これは職業裁判官でも裁判員でも同じことだろう。
 裁判員が導いた判断はまず尊重されるべきだが、二審の裁判官らも真剣に死刑と向き合って出した結論だから仕方がないと言える。
 最高裁の決定は、裁判員裁判だけに限らず、死刑判断を下す際の慎重さと公正さを再認識させた強いメッセージだ。

 
 ■事件の概要

【千葉大生強盗殺害事件】 千葉県松戸市で2009年10月、無職の竪山辰美被告(53)が、千葉大4年だった荻野友花里さん(当時21)宅に侵入。
 帰宅した荻野さんから現金約5千円などを奪ったうえ、包丁で刺して殺害。遺体の近くにあった衣服に火をつけて放火した

【東京・青山の男性強盗殺害事件】 無職の伊能和夫被告(64)は2009年11月、東京・青山のマンションに金目当てで侵入。昼寝をしていた五十嵐信次さん(当時74)の首を包丁で刺して殺害した

 〈2事件とも二審判決の認定による〉



 と、言う内容で、した

 要するに、一審の裁判員裁判で死刑判決だったのが、控訴審で逆転無罪ではなく〝逆転無期〟になった事への是非を問うているのです


 丁度、裁判員の事をお話している最中に、このニュースが飛び込んで来たので取り上げてみました


 これは、非常に難しいテーマで、ハッキリ言って、1+1=2と言うような、明確な正解はないと思います

 すなわち、どれも正解であり不正解とも言えるという事です


 当然、被害者遺族からすれば、大事な娘を殺害されたのだから、その犯人は死を持って罪を償うべきだ、つまり、目には目を、歯には歯を、死には死をという論理です

 これは、実際にその立場にならなくとも、大多数の人が共感できると思います

 しかし、その刑を決める裁判員並びに裁判官は、感情論だけでは判決は決められないジレンマがあります


 記事にもある通り、裁判員裁判の意義は、民意の反映だと思うので、その点では上記二件の一審判決は、今までの職業裁判官では出なかった判決かも知れません

 そういう意味では、正に裁判員裁判ならではの判決だったと言えます

 しかし、それが職業裁判官のみで審理される、控訴審や最高裁で、その判決が否定された結果となったのです


 果たして、皆さんはどう思いますか


 ボクの考えでは、これまでの判例や先例に照らしていたら、そもそも裁判員裁判の意味が無くなるので、今回の最高裁の決定は同意出来ません

 要するに、裁判員裁判の判決は、極めて重視されるべきだという事です

 ただ、極端な話、アメリカの陪審員制度のように、判決に対して控訴出来ないとなると、そもそもの裁判制度自体が崩れてしまうのですが、それに匹敵する位の判決の重みを、裁判員裁判の判決には持っていいと思うんですよね

 そうじゃないと、裁判員裁判そのものの存在意義がありません

 だったら、始めから職業裁判官だけで審理すれば良かったじゃん、ってなりますよね


 一方で、控訴審や上告審を担当した裁判官の考えも分からなくもないんです

 確かに、記事の通りな部分はあって、前科と今回の事件とは関連が薄いとか、強盗強姦は人を殺そうとしたものではないとか説示してます

 しかし、そうは言っても、この二人は相当悪質極まりないじゃないですか

 ですから、前科があるのにも拘わらず今回も事件を起こした、強盗強姦は生命を奪おうとしたわけではないが被害者に甚大なる苦痛を与えたと判示すればいいのです

 つまり、一審判決を支持出来るはずです


 それに、ボクが思うのは、判例や先例は、日々更新されて行くものだと思うのです

 有名な先例としては、殺人の場合、被害者が1人の場合は死刑を回避すると言うものです

 なので、被害者が1人の場合は、死刑はないと言うのが判決相場になっています

 しかし、果たしてこれで良いのでしょうか

 被害者が何人だろうと、殺害された被害者の遺族は、犯人を同じ目に遭わせてやりたいと思うのは、当然の感情でしょう

 犯人は刑務所の中とは言え、のうのうと生きて、被害者は永遠に返って来ないという不条理さ…

 なので、ボクは今回の二件の事件は、一審判決を支持して、死刑判決で当然だと思っています

 そうすることによって、新しい先例を作り、それが大局的に見れば犯罪抑止にも繋がるのです


 以上、今日は、答えが見付からないテーマでしたが、今後もこの議論は続いて行くと思います

 
 みなさんは、どう思いましたか


 さて、明日も裁判員裁判についてお話する予定です



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