日本初(?)有罪率99.9%の刑事裁判で〝二度も〟無罪判決を勝ち取った男のブログ!

過去、二度も刑事裁判の被告人として法廷に立たされるも、自力で反証、反駁をし二度も無罪判決を勝ち取る!そんな私が、あらゆる事を綴る!

あなたは神を信じますか?



 こんにちは

 今日は、快晴ですが風が強いですね

 くれぐれも、吹き飛ばされないように気を付けましょう(笑)


 昨日は、ボクの紅白歌合戦に対する思い入れをお話しました

 恐らく、あの様な環境だと、何も無いが故に、普段は見向きもしなかった事柄に、強い磁場を感じるのでしょうね


 さて、今日は、新年の行事である初詣について、ボクの想いをお話します

 
 のっけから、タイトルがキリスト教のキャッチフレーズみたいですが、皆さんは神様を信じますか

 また、新年には毎年欠かさず初詣に行っていますか


 
 まっ、答えは人それぞれでしょうけど、多分初詣に行く人は多いのではないでしょうか

 ボクも、以前は毎年欠かさず初詣に行って、神頼みをして、お守りを新しく購入し、そのお守りを翌年の初詣に持っていきお焚き上げをする、と言うような事をしていました

 ボクと同じような行動をしている方、結構多いのではないでしょうか


 しかし、現在のボクは、全くこのような事はしていません

 ですから、初詣にも行かなければ、お守りなんて一切買っていません

 まっ、そういう場所に行かない以上、お守りは手に入りませんからこれは必然でしょう


 では、何故これまで毎年欠かさず初詣に行っていた人間が、ある日を境にピタッと行かなくなったのか

 それは、神様を信じなくなったからです


 ボクは、20代半ばまでは、神様の存在を頑なに信じていました

 〝絶対に目に見えないけど神様は見てくれている〟とか〝目に見えないモノを味方につければ怖いことはない〟等と思い、神様は絶対に居ると信じていました

 しかし、これ程絶対的な拠り所だった神様を信じている時は、ホントに貧乏だったのです

 つまり、金回りが全然良くなかったのです

 人生で、最大級の貧乏でした(笑)


 ところが、ある日たまたま読んだ本で、神様についての考え方にビビビっと来るものがあり、実に腑に落ちたのです

 その本には、『唯心論』と『唯物論』について書いてありました

 因みに、唯心論とは神様は存在するという考え方で、唯物論とは反対に神様は存在せず、目み見えるモノが絶対だ、と言う考え方です

 この考えを読んだ時に、ボクはこれまで神様は絶ッ対に存在すると頑なに信じていたので、ハッとさせられたのです

 要は、神様は我々の思いが作り上げたモノだから、そんなモノは信じていてはダメで、目に見えるモノだけを信じないと搾取されると書いてあったのです

 
 また、この時ボクはこの考えを敷衍させて、『神様がみんなの願い事を聞いていたら、世の中成り立たないな』と、思ったのです

 だって、初詣で例えると分かりますが、毎年明治神宮には三が日で約316万人が参拝に訪れると言います

 と、言うことは、316万人が神様に何らかの願い事をするという事です

 その316万人分の願い事を、明治神宮の神様は全部叶えると言うのでしょうか

 そんな事、絶対に有り得ないですよね

 勿論、316万通りの願い事があるにせよ、それが全て叶っていたら、世の中成功者だらけになって、成り立たないですよね

 願い事の大半は、健康か金回りの事なんですから(笑)

 
 このボクの考えを、中には〝あまのじゃくだ〟とか〝ひねくれ野郎だ〟とか思う人も居るかも知れません

 それはそれで全然構わないんですが、こういう考え方もあるんだなと思って頂ければいいのです

 でも、何となくは分かってもらえると思っています

 別に、ボクは皆さんに〝唯物論〟を強制していませんから(笑)

 神様が存在すると信じている人は、とことん信じれば良いと思いますよ


 加えて、ボクが唯物論者になってから、つくづく感じるのが、神様を信じている時は、何かある度に神様にこじつけていた気がするんです

 意味分かりますか

 例えば、受験が上手く行ったのは湯島天神に行ったからだとか、あるいは怪我したのは今年初詣に行かなかったからだとか、何かにつけて神様のせいにしていたのです

 いい意味でも悪い意味でも

 ボクだけかも知れませんが、神様の存在を頑なに信じている人ほど、この思いは顕著だと思います

 
 でも、良く考えてみて下さい

 この例えで言えば、受験に合格したのは、神様のお陰ではなく自分の努力の賜物ではないのか

 怪我したのは、初詣に行かなかったからではなく、自分の不注意が原因では無かったのか

 要するに、良い事でも悪い事でも、最終的に神様にこじつければ自分の気が楽になるのです

 正しく〝気休め〟以外の何物でもありません

 
 人は、時として、特に悪いことが起こった時には、自分の至らなさは棚に上げて、誰かのせいにしたくなるものです

 それは、人間は誰しも自分の過ちを認めたくはないからです

 だから、その時に〝お参りに行かなかったからだ〟と言うのは、実に都合のいい責任転嫁なのです(笑)

 しかし、そんな考えで現実から目を背け、都合の悪い時に神様のせいにするのは、完璧な逃げだと思うのです

 ってか、そう思うようになったのです


 お蔭様で、唯物論者になってから、仕事も上手く行き、金回りも良くなり、目標だったベンツに乗ることも出来ました

 まっ、今回事件に巻き込まれて、本来やらなくていい裁判を闘う事にはなりましたが、何とか逆転無罪で出てこれましたからね

 裁判中も、神様にお願いなんて一切しませんでした

 無罪は、神様が与えてくれるものではなく、自分で勝ち取りに行くものだと思っていましたから

 実際、そのようになりましたからね

 詳細は、いずれ出版する書籍に譲りますが、正しく今回の逆転無罪は自分で勝ち取りに行ったモノでした


 以上、初詣と言えば神様、神様といえば唯心論、でもボクは唯物論者という事で、ボクの考えをお話させてもらいました


 さて、明日は、毎月恒例のあのテーマのお話をする予定です

 

 人気ブログランキングバナー


 


 (お手数ですが、両方のバナーをクリックして頂けると嬉しいと思います)