日本初(?)有罪率99.9%の刑事裁判で〝二度も〟無罪判決を勝ち取った男のブログ!

過去、二度も刑事裁判の被告人として法廷に立たされるも、自力で反証、反駁をし二度も無罪判決を勝ち取る!そんな私が、あらゆる事を綴る!

『五反田デリヘル殺人事件』ボクの総括。

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 新年明けましておめでとうございます

 今日から、仕事初めの方も多いかと思います

 このブログも、今日から仕事初めです(笑)

 本来なら、年末にきちんとご挨拶して締め括ろうと思っていたのですが、バタバタしていてそのままお正月休みに入ってしまいました…

 そんな身勝手をお許し下さい…


 さて、今日は五反田デリヘル殺人事件の総括をしたいと思います

 早速ですが、皆さんに問いたいと思います。


 もし、愛する奥さん(旦那さん)が、犯罪に巻き込まれて殺されたらどうしますか

 もし、愛するお子さんが、犯罪に巻き込まれて殺されたらどうしますか

 もし、愛する彼氏(彼女)が、犯罪に巻き込まれて殺されたらどうしますか

 もし、愛する家族が、犯罪に巻き込まれて殺されたらどうしますか


 あるいは、そういう経験はありますか…


 ここでボクは、敢えて〝殺されたら〟と言う表現を使いましたが、これには理由があります

 その理由は、被害者遺族にとっては、過失だろうが故意だろうが、その人が返って来ない結果は変わらない以上、殺されたのも同然だからです…

 なので、良くある交通事故で愛する人を亡くした時等、いくらわざとじゃない事故であったとしても、遺族からしたら殺されたのと同じでしょう

 犯罪名が違うだけで、結果は何ら殺人と変わらないでしょう…

 
 で、前記の〝もし〟を想像したとしても、きっと想像出来ないのではないでしょうか

 例えるならば、ラーメン二郎に、野菜、アブラ、カラメ、増し増しのラーメンを食べていないのにも拘わらず、その味を想像しろと言う様なものでしょう。

 絶対に分かる訳ないですよね

 だって、食べてないんですから…


 では、何故そんな事を訊いたのかと言うと、それは事件の数だけこの〝もし〟をリアルに体験している人達が〝居る〟と言う事実を知ってもらいたいからです

 とは言え、実際にこの〝もし〟を経験しない限り、所詮は他人事でしょう…

 だからこそ、ボクもこうして綴れるのかも知れません…


 今回、偶然が偶然を呼んで、この事件の被害者がボクの同級生かつ仕事の元同僚で、その加害者の一人がボクが小菅ヒルズで気になっていた奴で、更には一つ隣の部屋だったと言う、正に〝事実は小説より奇なり〟な状況でした

 従って、被害者加害者双方を知っていると言う、実に不可思議な立場で、この事件を見ていました

 ボクが思うに、今回の事件は、厳密に言えば殺人事件ではありません

 和久津は、突然の襲撃から逃れようと、ベランダ伝いに隣の部屋に移ろうとした際に、手を滑らせ誤って七階から転落してしまいました

 加害者の誰かが、和久津を突き落した訳ではありません。

 なので、厳密にはこれは〝事故〟です。

 しかし、和久津の両親からすれば、〝これは事故だから…〟で割り切れるはずがありません

 ボクも、法律上の解釈はともかくとして、これは事実上の殺人だと思っています 
 
 何故ならば、突然の襲撃が無ければ、又、それだけ切迫した状況に追い込まれなければ、和久津はベランダ伝えに逃げると言う選択をしなかったからです。

 だから、この状況に追い込んだ加害者達は、それ相応の責任を取らないといけません。


 ここで、〝責任〟と言う言葉が出て来ましたが、犯罪によって人を死なせてしまったら、その加害者は一体どんな責任を取らないといけないのでしょうか。

 まずは、〝刑事責任〟ですが、これはご存知の通り最高刑は死刑から無期懲役、有期懲役と言う刑罰が待っています

 もう一つが、〝民事上の責任〟ですが、これは国が積極的に何かをしてくれる訳ではなく、被害者自ら損害賠償請求を起こして裁判をしないといけません…

 勿論、結果は勝訴の可能性が極めて高いですが、問題はその後で、仮に「〇〇〇円の金員を、被害者に支払え」との判決が出たとしても、加害者にお金が無ければ、正に〝無い袖は振れない〟で一円もお金は貰えないのです…

 強制執行だ何だとやっても、懲役に行っている人間から、一体何を差し押さえろ言うのでしょうか。

 ですから、いくら民事で勝っても、相手に財産が無ければ何も取れないのです…

 詰まり、全くのやられ損…。

 これが、民事裁判の限界なのです

 尤も、被害者遺族からすれば、いくらお金をもらったからと言って、その傷が癒える事は決してありません…


 又、和久津の両親から聞いた話だと、現在では法律が変わり、被害者給付金制度が確立されていれ、国からお金が出るそうなのですが、たいした金額ではないそうです…。

 この点は、今後改善の余地があると思います。


 話は、〝刑事責任〟に戻りますが、もしあなたが愛する誰かを殺されたら、その加害者にはどんな刑罰を求めますか

 愛する人を殺されたんだから、加害者も同じ目に遭わせたいと思うのが、大多数の意見ではないでしょうか…。

 そもそも、法律の起源は、『ハンムラビ法典』に由来すると言われています。

 ハンムラビ法典とは、人類最古の合理的法典(実際には最古の法典は「リピットイシュタル法典」)といわれています。

 その意義は、「量刑のバランスを量っている点」にあります。

「ハンムラビ法典の眼には眼を、歯には歯を、、は、やられたら、やり返せ、ではなく、眼をつぶされたら、相手の目のみしかつぶしてはならない、歯おなじく、つまり復讐のエスカレートを防ぐ為と行為と量刑のバランスを規定している ...」点に「応報刑主義に基づく最古の合理的法典」といわれる所以があります。(参考文献yahoo知恵袋)

 詰まりは、眼をやられたんだから眼のみを潰させろと言う事に照らせば、愛する家族を死なせたんだから死ぬのは当然、と言う結論に達します

 被害者遺族からすれば、死なせたんだから、あんたも死んで責任を取りなさい、となるでしょう…

 しかし、現代社会では、この論理は通用しにくくなっています…

 現在の刑事裁判では、被害者が一人の場合は死刑を選択する事は殆どないのが現状です

 感情論だけで言えば、殺された被害者からすれば、死刑が当然の為、ここで感情と法律の不均衡が生じます。

 又、前記のハンムラビ法典の論理とも矛盾します…

 因みに、ここでは死刑の是非についての議論はおいて置きます。

 これだけで、簡単に一冊の本が書けてしまうので…


 要するに、法律に感情はないと言う事です

 この点は、以前からボクも理解しているとは言え、簡単に割り切れないものがあります。

 和久津の両親からすれば、被害者が一人だとうと何人だろうと、息子を殺された事に変わりはないんですから、加害者全員を殺してやりたいと思うのが至極当然でしょう…

 そうした時、唯一の無念を晴らす場である裁判が、被害者遺族の感情を全くではないにしろ、形式的に判断材料の一つとしてしか考えていないのだとしたら、一体何の為に裁判をするのか行き詰まります…

 ホント、刑事裁判とは何なのでしょうか


 そんな事を、考えさせられた極めて印象に残る事件でした…

 
 さて、明日は先月和久津の実家にお線香を上げに行った時のお話をしたいと思います