日本初(?)有罪率99.9%の刑事裁判で〝二度も〟無罪判決を勝ち取った男のブログ!

過去、二度も刑事裁判の被告人として法廷に立たされるも、自力で反証、反駁をし二度も無罪判決を勝ち取る!そんな私が、あらゆる事を綴る!

2013年08月の記事

逆転無罪判決の夜…。

 東京拘置所から、一年七ヶ月分の荷物を乗せて、タクシーは首都高を家路へと進行して行きます。

 
 車窓から見える景色を見ながら、『今日の朝まで、手錠をされた状態でこの景色を見ていたなぁ…』と、不思議な感覚でした。

 なんせ、この日の朝は、拘置所から裁判所まで護送バスに揺られていて、夕方には〝自由の身〟になっていたんですから、不思議な感覚になるのは最早当然と言えました。

 車を走らせる事約一時間、久方振りの自宅に到着。


 荷物を一旦自宅に置いて、すぐさま自宅近くのショッピングモールへと向かいました。

 久し振りに、自由に自分の意思で歩を進め、適当にお店をふらつく。

 その際、すれ違うオバちゃん、キャッキャとはしゃぐ女子高生達、小さい子供を連れた奥さん等々を見ていて、何だか『ホントに幸せそうだな…』と、思ってしまった。

 また、当たり前の話ですが『今日、ボクが逆転無罪判決を受けたなんてこの人達は知らないんだろうな…』と、思ったりもしていました。(笑)

 
 そして、ふと目に入ったサーティーワンで、「チョップドチョコ」のアイスクリームを注文した。

 この時の、「注文」→「代金支払い」→「お釣りを受け取る」→「アイスを受け取る」と言う、実に、極めて当たり前の行動に、すんごく感DOしてしまった。(笑)

 何故なら、一年七ヶ月も、こんな当たり前の動作さえ出来なかったからです…(涙)

 で、久しぶりに食べたチョップドチョコを口に入れた瞬間は、もう言葉に表現のしようがない位美味しくて、まるで『チョコのゲリラ豪雨やぁ~』と、言った感じでした。(笑)


 その後、美味しい物を食べに、盛大に〝出所祝い〟(とは言っても、ボクは懲役を受けていた訳ではないので、この表現には違和感がありますが便宜上こうしておきます。)を、と言いたい所ですが、実際にこの日食べた最初の〝シャバ〟での食事は、ジョリーパスタでパスタとピザでした。(笑)

 不思議と、超高級焼肉が食べたいとか、高級イタリアンが食べたい、等という贅沢な欲求は、全く湧いて来ませんでした。

 ホント、その辺のファミレスが、ボクにとっては最高級の贅沢だったので、ジョリーパスタで大満足でした。

 何故なら、この一年七ヶ月、拘置所の決して美味しいとは言えない食事を食べざるを得なかったからです。

 なので、入っている時は、吉野家の牛丼でさえ、超高級焼肉と同等の価値がありました。(笑)

 また、何故ジョリーパスタにしたかと言うと、拘置所では、一応たまにパスタは出ますが、ちっとも美味しくなかったのと、〝ピザ〟なんて、シャレた物は出なかったからです。

 
 そして、ホント久しぶりに食べたピザは、何とも言えない格別の上手さがありました。


 これからは、もう自分の好きな物を食べれると思うと、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったです。

一年七ヶ月振りの〝シャバ〟。

 東京拘置所地下一階領置調べのフロア。


 全部の荷物を台車に乗せると、職員から『こっちに来て』と、促されてカウンターの前へと移動する。

 このフロアは、入口を入って右手の壁沿いに所謂〝ビックリ箱〟がズラッ~と並んでいて、左手の壁沿いにはカウンターが並んでいます。その間に、広いスペースがあり、そこに青色のストレッチをする時に使うマットが敷いてあり、その上に荷物を並べて整理をします。

 カウンターは、入所時に個人情報を訊かれる際に使用されて、ボクも一審の時に勾留されていた千葉拘置所から移送になった時には、カウンター越しに職員から、氏名や住所、判決内容、何で控訴したのか等々、根掘り葉掘り訊かれました。

 そして、このカウンターで最後の〝儀式〟が執り行われました。名前を呼ばれて、カウンターの前に立ち、一通りの人定確認の後、職員から

 『それでは、本日あなたには無罪という判決が出ましたので、これから東京拘置所より釈放します。』

 と、言われ〝釈放〟という言葉を聞いた瞬間は身震いがしました。(笑)

 また、「やっと!この時が来たのかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と、心の中で快哉を叫んでいました。

 
 そして、職員が用意した書類に最後の指印を押します。

 何故か、この時の指印は左手人差し指の第一関節をポンッと押すのではなく、第二関節まで黒い朱肉を付けて、押してからグルッと指を回転させる、〝ねちっこい〟指印でした。その後、指に付いた朱肉をティッシュで拭きとります。

 これで、拘置所での〝儀式〟は終了し、いよいよ自由への世界と歩を進めます。


 職員に先導されながら、ゆっくりと台車を押して行き、地下一階から一階へとエレベーターを上がって行きます。

 この時の心境は、一歩一歩近づいて来る〝自由の世界〟に対して、何故か緊張していました。(笑)これが、ごくごく当たり前の世界だと言うのに…。その位、一年七ヶ月と言う時間は長かったのでしょう。

 そして、エレベーターを降りて廊下を少し歩くと、職員がカギを開けてドアを開きました。すると、そこは東京拘置所に面会に来た人が通る、長い廊下の途中でした。
 
 東京拘置所に、一度でも面会に来た人なら分かると思いますが、東京拘置所では面会室に行くのに、受付の所から左にカーブした長い廊下を進み、突き当りを右に曲がり少し歩くと、やっとエレベーターホールがありそれぞれの階へと向かいます。

 その、突き当たった所に、「関係者以外立ち入り禁止」の立て看板と、「→」と、行き先を示す看板の奥のドアから出て来ました。

 そのまま、面会に来た人が辿るルートを台車を押して歩いて行き、受付に設置してある金属探知機の検査場を過ぎます。


 すると、面会受付の所に、ボクの家族が待っていて、この上ない笑顔で

 『お帰り!』

 と、労いの言葉を掛けてくれて、ボクは上手く言葉が見付からず

 『アリガトー』

 と、言う実にありきたりな言葉でしか返答できませんでした。(笑) 

 今、振り返ると、こうなる事を夢見ていたとは言え、実際にそうなった現実が全く信じられなかったからだと思います。(泣)

 そのまま台車を引きながら、面会受付のエントランスを抜けて、自動ドアを過ぎます。


 そして…


 眼前に広がる、東京拘置所の駐車場…。

 この景色を、ブレスレッド(手錠)無しで見れるなんて、何と尊いのか!


 色々な想いが交錯しながら、又、この状況が信じられない想いを乗せて、台車を拘置所の駐車場の入口まで運んで行きます。

 ここで、台車から荷物を降ろし、台車を返却して、もう拘置所とはバイバイです。後は、どうぞご自由に、と言った感じになります。

 荷物がたいした量じゃなければ、そのまま電車で帰っても良かったのですが、なんせダンボール四箱に布団一式と言う大荷物だったので、流石に電車は無理なので、タクシーを手配しました。

 タクシーを待っている間、繰り返し出て来る言葉は

 『これ、現実だよね?』

 と、言う様な、この現実を受け入れていない言葉ばかりでした。(笑)

 また、この時、ホント久しぶりに自動販売機で缶コーヒーを買いました。たかだか、缶コーヒーを買う事にさえ感動してしまいました。(笑)

 何故なら、この一年七ヶ月〝自分の好きな時に〟〝自分の好きな物を〟〝自分の好きなだけ〟買う事が出来なかったからです…。

 そうこうしているうちに、迎車のタクシーが到着し、荷物を詰め込み一年七ヶ月振りに家路へと向かいました…。

釈放に向けての荷物整理。

 東京拘置所地下一階にある、領置調べのフロアで待たされる事数十分。

 やっと、台車に乗ったボクの荷物が届きました。やはり、一年七ヶ月分の荷物の量はハンパではなく、ダンボール箱四箱と、自分で購入した布団があり、とてもじゃないですが電車では持って帰れません。

 これでも、日頃から読まない本や、着ない洋服は、〝宅下げ〟と言って、シャバに居る人に引き取ってもらっていたのにも拘わらずこの量です。

 やはり、完全否認でしたから、裁判資料だけでダンボール箱一箱にもなりました。

 しかも、ホントふざけてるのが、拘置所側では出所時には何一つとして廃棄を受け付けてくれないとの事で、荷物は全て持って帰らないといけません。ですから、二度と使う事のない布団も、とりあえずは持って帰らないといけません。

 本だけでも、70冊以上はあったのでそれなりの量になってしまいましたね…。

 因みに、布団は自分で購入するか、差し入れ屋からの差し入れで部屋に入ります。拘置所に備え付けの布団は、それはそれはペチャンコのスーパー煎餅布団で、掛布団も『じぇじぇじぇ!』と、思うようなスンゴイ薄さです(笑)

 そして、おもむろにボクの荷物の周りに職員が何人か集まりだして、荷物チェックをして行きます。この時の荷物チェックとは、主に本に貼り付けてある〝許可証〟を剥がすのが目的のようでした。

 許可証とは、自分で購入した本や、差し入れで入れてもらった本に、拘置所側が貼り付ける小さな紙で、そこには本のタイトル、自分の名前、称呼番号(基本的に、拘置所では番号で呼ばれる)が記載されています。

 許可証

 この許可証は、ボクが一審で勾留されていた千葉拘置所の時の物です。きっと、剥がし忘れたんでしょう(笑)

 因みに、写真の通り千葉拘置所でのボクの称呼番号は2224番でした。

 これらの許可書を、職員が剥がして行き、剥がし終わった本をダンボールに詰めていきます。その途中で、拘置所に保管されていた現金の返却の手続きをして行きます。

 拘置所では、被告人は直接現金を持つことはなく、〝領置金〟と、言って何かを自分で購入した時に、そこから自動的に引き落とされていきます。(拘置所で購入できる物については別の機会にお話しします。)

 そういった、諸々の返却手続きをして行き、その都度左手の人差し指で指印を押して行きます。

 そして、全部の荷物をダンボールに詰め終えて、全ての返却手続きが終わり、いよいよ一年七ヶ月振りのシャバへと向かって行きました。

最後の護送バス。

 平成25年7月2日(火)午後二時半。
 護送バスは、釈放されるボクや、引き続き自由を奪われる被告人達を乗せて霞が関の裁判所の地下一階から小菅の東京拘置所へと出発しました。

 護送バスに、ブレスレッド(手錠)無しで乗車し、車窓から見える景色を見ながら、ボクは、

 『やっとこさ、待ちに待った自由の世界に帰れるんだ!』

 『もう、このバスに乗るのもこれが最後だな。』

 等と、様々な思いを巡らせながら、気が付くと東京拘置所の地下へと護送バスは滑り込んで行きました。そこで、護送バスは先にボクともう一人の釈放される人を降ろし、そのまま奥へと進んで行きました。


 そして、ボク達は地下一階にある、〝領置調べ〟の広いフロアへと歩を進めました。東京拘置所は、地下一階に収容する人達の荷物を仕分けして、部屋に入る物、入らない物を選別する為のだだっ広いフロアがあります。

 そこには、通称〝ビックリ箱〟と、呼ばれている、人が一人分入るボックスがあって、床から60cm位の高さに木の板が敷いてあり、そこに座って自分の番が来るまで待機します。これは、被告人同士が雑談をしないようにする為の措置です。

 ボク達も、それぞれビックリ箱に入るように指示されました。

 この時、ボクは自分が居た部屋には行けません!これは、前回述べた仮監獄の時の措置と同じで、釈放される人間と在監中の被告人とを接触させない為です。

 従って、部屋にある自分の荷物は、食事を配ったり被告人の面倒を見る懲役囚がダンボールにまとめて、台車に乗せて職員に渡します。この時、ボクが居たフロアの担当職員に内線で連絡が行っているのです。


 そして、ボクの荷物が多かったせいか、そこそこビックリ箱で待たされた後、やっと台車に乗ったボクの荷物が到着して、荷物整理が始まりました。
 

ブレスレッド(手錠)をしないで仮監獄へ。

前回、裁判を受ける被告人は、裁判所の地下二階の「仮監獄」と言う部屋で待たされて、無罪判決を受けた後は、執行猶予の人と同じパターンだという話をしました。

この、執行猶予のパターン、と言うのは判決を受けた後は、元に居た部屋には戻らない事を意味しています。

これは、釈放される人間に「〇〇さんに〇〇と伝えて下さい」等と言う、証拠隠滅を防ぐ為だと考えられます。

なので、執行猶予の判決を受けた人は、始めに居た部屋には戻らず別室の仮監獄に移されます。

因みに、この時は法廷からはブレスレット(手錠)はしないで、仮監獄へと戻って来ます。何故ならば、もう身柄を拘束されないからです。

あくまでも、拘置所に戻り、荷物整理をする必要があるから、もう一度仮監獄へと戻るだけなので、本来ならばその場でバイバイでもいいわけです。

今までは、逃走防止の為、公判が終わるとブレスレットを嵌められて仮監獄へと戻るのですが、もう釈放になるのでブレスレットはしません。

従って、ボクもブレスレットをしないで、応援に来てくれた仲間と熱い握手を交わしてから、仮監獄へと戻りました。

今までは、公判が終わっても、傍聴に来ている人達と一切言葉を交わせませんが、前記の通りもう釈放されるので、言葉を交わそうが自由なのです。

そして、仮監獄に戻り、始めに居た部屋とは別の部屋に通されます。

ボクが、その部屋に入ると先客が居て、判決はどうだったか等他愛のない話をしていましたが、ボクの結果を言うと、目を見開いてビックリしていました(笑)

その後、30分~40分待たされた後、職員が迎えに来て、東京拘置所へと帰ります。

この時も、当然ブレスレットはしません。裁判所の地下二階の仮監獄から、護送バスまでをブレスレット無しに歩くなんて、ホント夢のようでした。

そして、護送バスの先頭の方にブレスレット無しで乗り、後ろの席にはブレスレットをした被告人達が座っています。

ホント、同じバスなのに、前方と後方では〝天国と地獄〟、〝自由と不自由〟と言う対極のカオスが渦巻いていました。

やがて、バスはそれぞれの想いを乗せて、小菅へと出発しました。

無罪判決後の対応。

平成25年7月2日(火)午後2時。約30分に亘る判決理由の朗読の後、裁判長から検察官に対して、

『検察官は、この判決に不服がある時は、14日以内に上告の申し立てを当裁判所に申し立てて下さい。それでは、判決の言い渡しを終わります。』

と、言い法廷の裏側へとスタスタと消えて行った。

この時、ボクは裁判長から何か言われるのではないかと思っていたのだが、何もなかったので、正直拍子抜けした(笑)

通常、判決理由の後は、裁判長からは

『この判決は有罪判決です。この判決に不服がある時は、14日以内に控訴(または上告)の申し立てを当裁判所にして下さい。それでは、判決の言い渡しを終わります。』

と、なり被告側に上記の台詞が言われるのだが、無罪判決なので当然上記の台詞は言われるはずはなく、前記の台詞が検察官に対して言われるなんて、これ程痛快な事はない。

そして、無罪判決なのでこれ以上身柄を拘束される理由はどこにもないので釈放となる。

当初、ボクが拘置所の職員から聞いていたのは、『無罪判決が出たら、その場で釈放で荷物は後日拘置所に取りに来る。』との事だったので、そのつもりでいたらどうやら実情は全く違っていた。

一言で言うと、「執行猶予のパターンと全く同じ」だと言うこと。

そう言われても、分かるのは実際に執行猶予の判決を受けた人か、その人を待っていた身近な人しか分からないので、説明しようと思います。

まず、東京地裁乃至東京高裁で審理されている被告人の殆どは、東京拘置所に勾留されています。

従って、公判当日は東京拘置所から護送バスに揺られて仲良く向かいます。(この、護送時の話も面白いので別の機会にお話します。)

で、護送バスで裁判所の地下2階に「仮監獄」と言う部屋があって、そこで自分の公判の時間まで待つことになります。

そこは、独居もあれば雑居もあって、又本が適当に置いてあるので、それを読んで待っていたり、雑居の人であれば雑談したりして待っています。

ただ、ここの水道水は、究極にマズイ!

この水を、川越シェフの店の様に800円も取っていたら、間違いなく猛烈なバッシングを受ける事確実(笑)

そして、各々公判時間の少し前に職員が迎えに来て、ブレスレット(手錠)をはめて法廷へと向かいます。

因みに、仮監獄の中に時計はないので、今何時頃だろうと思っても職員に聞くしかありません。

その後、公判が終われば元の居た部屋に戻って来ます。

しかし、判決が執行猶予、若しくは無罪の場合は元の居た部屋には戻らず、別の部屋に戻って帰りの護送バスの時間までそこで待機します。

と、言うわけでこの続きは次回お話します。

奇跡の逆転無罪判決!

 平成25年7月2日(火)、東京高等裁判所506号法廷は、いつもに増して緊張感が漂っていた。

 この日の公判は、ある男の人生を左右する判決が宣告される日であった。約60席ある傍聴席は、ほぼ満席。

 午後一時三十分、開廷。法廷に居る全員が起立し一礼。

 
 裁判長 『それでは、被告人は証言台へ』

 と、言われボクは緊張した足取りで法廷中央にある証言台へと歩を進める。三人の裁判官達と正対する。

 
 裁判長 『内田被告ですね?』

 ボク 『はい。』

 
 裁判長 『それでは、あなたに対する詐欺未遂被告事件について、判決を言い渡します。』

 
 ついにこの時が来た!そして…


 裁判長 『主文。原判決を破棄する。被告人は無罪。』

 
 この瞬間、法廷が拍手と『オォ~!!』という歓声に包まれた。又、ボクは判決を聞いた瞬間『ヨシッ!』と、思わず声が出て、勝手に右手を握りガッツポーズをしていた。裁判長は、法廷の歓声を鎮める為に、両手を広げて『静粛に』と促す。その後、判決理由の朗読が30分に亘り続く。

 そして、ボクはやっとこさ願いに願った、一年七ヶ月振りの〝自由〟を手に入れた!